Thursday, February 26, 2004
最後の審判
この間、カフカの最大傑作「城」を読み終えた。未完成の作品ながら、意味深長である。 しかし、彼の作品を丁寧に読まないと、「カフカ的」という言葉を使う権利は全くないなあと気づいた。 なぜかと聞かれたら、カフカの胸に疑心暗鬼を生じさせたのは、やっぱり簡潔に要約することの出来ない「現代生活の慌ただしさ」じゃないかと答える。 だからこそ、カフカ作品の登場人物を理解したいならば、熟読して、「鵺的存在」の些細な事まで非理知的に経験して、段々と身に付けるしかない。 これが読者にとっては、実存主義の文学の最大の命令かもしれない。 因みに、現実についての隠喩と言えば、ラテン語の諺「IN VINO VERITAS」(酒に事実あり)がある。 意味の通りで、飲まないと実際に何も分からないから、私見では出来るだけ、ぐいぐい飲んだ方がいい。 ところで、付き合う程度の酒をよく飲む日本人には非常に分かり易い考えだと思う。 でも、他方では「一杯は人酒を飲む、二杯酒酒を飲む、三杯酒人を飲む」という日本語の諺もあるらしい。 なるほど。 じゃあ、挑戦するなら、きつい現実に飲まれないように。 失敗したら、迎え酒は翌日に。